時折、背中に冷や水を垂らされたかのような感覚に襲われる。
それは、何気ない風景だとか、人の仕草とか言動とか。本当に些細なこと。
笑って過ごすことが出来れば、それでいいのかもしれない。
実際、自分はそうできているはずだった。
まあそれが見破られていないかといえば、たぶんそうじゃ、ない。

でもジェイドは勘がいいから気付いているんだろう。気付かない振りをしてくれているだけで。
それでも、ガイとしては有難かった。
そこで指摘などされては、この虚勢がガラガラと崩れてしまうのは必至だろう。

危ういバランスを保った、崖の上の岩なんだ。
崩れそうで、崩れない。
だけれども、ほんのちょっとした風とか、地震とか、もしくは、人工的な力によってそれはもろとも崩れる。
それが近い将来か、遠い未来か。その差だけで、崩れるのに変わりはない。
グラグラとそれが揺れ始めていることを、ガイは自分で感じていた。

―――ガイ・・・

聞こえないはずの声が、聞こえる。

―――ガーイ・・・

聞くことが出来ないはずの声に、呼ばれる。


楽になりたい。
この幻に浸ってしまえ。

しかし、そうすればまた、傷つくのは自分だということをよくわかっていた。
痛みは曖昧になるほど心を蝕み、現実は次第に退色していく。


あの赤が、脳裏で揺れた。
小波のように、頬を掠めていく。

幻だ。
わかっている。

でもこれが、今の現実。




 に  ま れ




****

「ガイラルディア…最近おかしくないか」

また何時の間に侵入したのか、この人は。
見当がつかないわけではないが、追求もしたくないので放っておく。

「ぼーっとしているかと思えば、妙に気を使った笑顔で話しかけてきたりして、かと思うと今度は愛しそうに俺の可愛いブウサギを見つめたりしてるんだ。なぁ、変だろう?」
「とりあえず、陛下はいつも変だということは認めますよ」
「どういう意味だよそれは」
「言葉通りの意味ですが?」
「俺は真剣にガイラルディアを心配して…」
「知ってます」
「はぁ?」
「ガイの様子がおかしいことなど、もう随分前から知ってます。陛下もご存知かと思っていたのですが」

そもそも、またグランコクマで陛下…もとい、ブウサギの世話をしていること自体がおかしいのだ。
だからといって、ガイがどこに行くのが自然かと問われれば、それも答えづらい質問なのだが。

エルドラントが消滅してから、一ヶ月が経っていた。
前と同じように、此処に、いる。
なんとなく、何故?と問いかけるには憚られるような気がした。
それはつまり、暗に出て行けと言っている様なものだから。
ピオニーが聞けば、少しはましかもしれないが、自分が言えばどんな言い方でもその真意を知られてしまうだろう。ジェイドとて、出て行って欲しいと思っているわけではない。ここにいるのがおかしいと思っているのは真実だが。

「なんか、俺の顔についてるか?」
「いえ…なんでもありません」

考えているようで考えてない、考えてないようで考えている…。
(こういうとき、この人はある意味で得ですね…。)

決してこの人になりたいとは思わないが、少し、羨ましいと思った。



ガイの様子がおかしいのは結構前からで、それがピオニーにもわかるほど著明になってきたのが最近だという、ただそれだけの話。

(それとも、知っていて言わなかっただけで、本当は知っていて最近酷くなってきて、何も言わない私に助けを求めるためにこのような話をしてきたのか…?いや、この人の考えていることを真面目に考えるなど時間が勿体無い…)

原因は、明白だ。
最初から、解っている。
それでもアクションを起こさなかったのは、もしかしたら、少しでも期待していたのかもしれない。
ガイが、誰かに頼ることを。願わくば、自分に。
そして、そうは叶わなかった今、思いなおす。

あの人は今の今まで、人に頼ったことなどあったか

たぶん、ない。
グランコクマにいるのを換算すれば皆無というわけでもないのだろうが、こと精神的な面からして誰かに頼るという術を、ガイは知らないのではないか。
自分と、ガイは重なるところがある。
だからよくわかる。

ひとつも笑わなかった昔の自分
何時も微笑みかける彼

小さい頃、ピオニーにはよく『笑え』、と言われたものだった。

『ジェイドは、笑うともっと笑えばいい。そしたら、俺も嬉しくなるぞ!』

もうすっかり大人になって、今度は逆のことを言う。

『俺の前にいるときぐらい、笑わなくていいんだからな』

思い出しては、人間、本質というものはかわらないんだな、とつくづく思う。
あの人は、特別が好きなんだ。
自分だけには、真実(ほんもの)を見せて欲しいんだろう。
そして、そんな一つ一つの言葉に、僅かにでも嬉しいと思ってしまう自分が、ほとほと嫌になるが、それでもこの人のそばを離れようなどとは思わないのは自分の弱さかもしれない。

そんな存在が、ガイにはいるのか。
考え付く限りたぶん、いない。

だからどんどん、感情は内へ内へと深く沈んでいってしまう。
それが底にたどり着いてしまったら、どうなってしまうのだろう。

一度くらい、壊れてしまえばいい。
壊れ物を壊れないように扱うのは、終わり。
壊すという事は、また産まれるという事。



「陛下、ガイと話をしてきてもいいですか」
「いいんじゃねぇか」
「横取りするなんて意地汚いこと、やめてくださいね」
「期待してるくせに」
「ご冗談を」

この人の手を借りれば、ガイの気持ちも少しはやわらぐのかなと、思いつつ。
ジェイドは自室を後にした。


ガイを探すために。
ガイを壊すために。



****

グランコクマの都は、どんな季節でも、どんな時間でも、美しいと思う。
あの男が統括する都とは思えないほど、水は詠うように流れ、絶えず清らかだ。

目的の人物は、すぐに見つかった。
時刻は夕刻近く、焼けた光が水面に反射して、ガイの金髪はメラメラと燃える焔のようだ。
たぶん傍から見れば、自分も同じような髪色に見えるだろう。

燃えるように赤い髪をもつ、あの人。

思い出させるのだろうか。
こんな些細なことでさえ。


声をかける前に此方に気付いたガイは、困ったような笑顔を見せた。しかし、それ以上は何もなく、視線はぼんやりと遠かった。
ジェイドがこのような場所にひとりでいるのは珍しい。
だから、きっと、ガイもわかっているんだろう。何か特別なことがあって、此処にきたのだということを。
その特別なこととは、自分に関することだということを。

「夕日が、綺麗ですね」
「ああ、そうだな」
「思い出しますか」

何を、とは言わなかった。
そちらのほうが残酷だということは、百も承知で。

「私は思い出します。だから、貴方が思い出さないはずがない」

答えは、なかった。
沈黙は、肯定。
だから会話は、成り立っている。そう仮定して、ジェイドは話を続ける。

「陛下が、あなたの様子がおかしいと言っていました。あの人のことだから、本当は知っていて知らない振りをしていたのか、はたまた本気で知らなかったのか…この際、まあどちらでもいいとして。…私は、少し、期待していたんですよ、これでも」
「期待…?」
ふっ、と葉が落ちるように視線が此方に向く。
初めて見る、ガイの表情だった。少しは、気を赦してくれているんだろうか。

「泣き言…までとは言いませんが、少しでも、頼ってきてくれるのかな、と。こういった場合、どう励ましたらいいのかと思案したりしましたが、杞憂でしたね。あなたは誰も頼らない。本性を隠して使用人として働いていた時と同じように」

「これは、誰かを頼って、解決する問題じゃないだろう?根本は変わらない。…………あいつは、帰って、来ない」
あいつ、とガイは言った。
僅かに唇が震えていたのをジェイドは見逃さない。
まるで、名を呼ぶだけで減ってしまうんじゃないかと恐れているかのようだった。

「ルークが帰ってくるとかこないとか、そういう問題ではありません」

「……っ、どうして、そういう言い方をするんだ…」

――そうだ、曝け出せ。

「私は、貴方を、心配しているんです。だから、今の話にルークは関係ありません」

「関係ないわけないだろう!!」

――感情を、剥き出しにしろ。

わざと、ジェイドは傷つける言い方で、ガイに真実を突きつけた。
言葉にするということは、必ずしもいい結果を招くわけではない。
それでも、今のガイには必要なことだと思えた。

「では、ルークが帰ってこなかったら、あなたはどうするんですか。そうやって、自分で自分を傷つけて、一生過ごすんですか?」

「あんたには、関係ない…!」

その問いはきっと、ガイの中で何度も、何度も、反芻されては仕舞い込まれてきたもの。
その度に傷つき、心は腐敗していく。

――吐き出してしまえ。

「そうですか、関係ない、ですか…じゃあ、これから、私が何をしても関係ないですよね」
「ちょ、何すっ…」

ガイの手首を掴み、無理に立たせ、文句を言うガイに構わず引っ張っていく。


貴方がいけないんですよ。
自分をこんなに傷つけるから。


****

ジェイドの私室にもどると、ピオニーはもういなかった。
公務が溜まっているとか何とか言っていたので、きっと戻ったんだろう。
なら、何故ここに陛下宛の文章が散らかっているのかということを、言及してはいけない。言及する相手も今はいない。

書類の草原を抜けて、寝室にたどりつく。

力任せに腕を引っ張って、ガイをベッドに押しやる。
バランスを崩した身体は、とすんと音を立てて白の波に飲まれる。
キッと此方に非難の視線を向ける。手負いの獣というのはこういうことか、と思った。

(これは、たぶん抵抗するだろうな…)
自分が今からすることを考える。
ガイの方が体格がいいから、自分ひとりでは到底押さえつけるのは無理だろう。

自分で連れてきたくせに、あたかもいないような態度で、ジェイドは机に向った。
小さな小箱を開ける。カタカタと木が音を鳴らす。
以前、ピオニーに冗談交じりで作ってくれといわれたもの。本人はそのことを忘れているようなので、結局渡していなかった。
渡したところで、悪用(たぶん、自分に)されるのは目に見えているので、実は故意に覚えていない振りをしている。

それでも、作れそうだったので作ってみた。
こんな状況でコレのことを思い出す自分も、だいぶピオニーに感化されていると思いつつ。

さて、問題は、どうやってコレを使うか…。

そう思って逡巡していると、背中を向けているベッドのほうで物音がした。

「ぅ…重い……」
「へ、いか…?」

驚いた声を上げたのは、ガイだった。
声は出さなかったが、驚いたのはジェイドも同じだった。

この人はまた、他人の寝室で何をやっているのか…。公務が溜まっていたのではないか?
小言が頭の中でふつふつと沸いてきたが、それはまず置いておくことにした。

「陛下」
「おう…?」

本気で寝ていたのか、心なしかピオニーの反応が鈍い。それでも、こちらの言わんとすることはわかる程度の理解力はあるはずだ。

「ガイを、ちょっと抑えていていただけませんか」
「ガイラルディアを…?お安い御用だ」
「ちょっと、陛下…ていうか、旦那、さっきからなんなんだよ…!」

ピオニーはベッドの上で寝具に紛れつつ、ガイを背中から抱き締める。
ガイもピオニー相手では、本気で抵抗できないのか言葉では「やめてください」と言っていても、なかなか抜け出せないようだった。

近づいて、首元に手を近づける。
ぷちん と音がして、小さな赤が残った。

「痛っ……な、にを…」
「もう押さえてなくてもいいですよ、陛下」
「なんだ、もういいのか?」
「話をそらすな…」
「自白剤です。それと…」
ひくん、とガイの肩が揺れる。
即効性だから、効果は現れてもいい頃かもしれないけれども、今の反応は、恐怖からくるものかもしれない。

「少々の―――媚薬を」
ゆっくりと、焦らすように、一言ずつ話しかける。

「なんだ、完成してたんじゃないか」
場に見合わず、ひょうひょうとした声でピオニーが愚痴を漏らす。
「完成した、なんて言ったら、陛下は絶対使うじゃないですか」
「ああ、勿論。お前にな」
「だから、言わなかったんですよ」

会話をよそに、ガイの身体は自分を守るように自分の腕で包み込む。
目を見開いて、一点を見つめている。
わかりきったことだが、ガイは、薬に抗おうとしていた。
自分の感情さえ、否定し続けてきた彼には自然なことかもしれない。

大丈夫。
そんな弱りきった身体で打ち勝てるような薬ではないから。

堕ちていけばいい。
そうすれば、そこから立ち上がることが出来るから。


****

「ガイラルディア…苦しい?ほら、言えば楽になるよ…そういう薬なんだから、ね」
子どもをあやす様に、ピオニーが何度も何度も頭を撫でてくれる。
頭皮を触れては離れていく手が愛しくて、摺り寄せるようにしてしまうのを止められない。

からだが あつい

それに

かんじょうが あふれだしそうになる

「そうですよ、ガイ…少しずつ、吐き出してしまえばいいんです…」

ジェイドが耳元で小さな声で囁くと、ついでとばかりに耳朶を食んでいく。
ひくりと身体を震わすと、ピオニーがぎゅ、と抱き締めてくれる。
ガイは今、背中からはピオニーに、前からはジェイドに挟まれ、じわりじわりと高揚していく中、半端な愛撫を施されていた。

まるで、揺り籠にいるようだ。

いつのまにか身につけていたものもはだけていて、それでもなお、身体の熱さは変わらなかった。

「く…るしい…」
「うん…苦しかったら、泣いていいぞ…」

はぁはぁと、荒い息を吐きながら呟くと、覆いかぶさるようにして顔中にキスを与えられる。
目元にキスを施されると、誘われるようにホロリと雫が零れ落ちた。

「ほら、ちゃんと、泣けるじゃないか…いい子だな、ガイラルディア」
ご褒美とばかりに、ピオニーに口付けられる。
侵入してきた舌に上顎をなぞられると、身体の力が抜けるようで、咄嗟に何か掴もうとした先はジェイドの腕だった。そのまま指を絡ませられる。

「陛下ばかり、ずるいですよ」
「お前は、ガイラルディアを虐めすぎなんだよ」
「横取りするなと、忠告したじゃないですか」
「期待してたくせに」
「まさか…ご冗談を」

ガイをはさんで、二人が会話しているのを別次元を見ているかのようにぼんやりと見る。
その視線に気付いたのか、ジェイドがこちらを見て微笑む。

「貴方を、虐めたいわけではないんです。もっと楽になって欲しいだけなんですよ…」
するりと、はだけた衣類の中に手を入れられる。
「ジェ…ド………、気持ちい……」
「そうでしょう?もっと、感じたこといえばいいんです…」
見たことも無いような、うっとりとした目でそう訴えかけられると、それが最良の策のように思えてくる。もうだいぶ、自分は正気じゃないなと思う冷静な自分がいたが、それに逆らうほどの自我はほとんど残っていなかった。

「もっと…」
「ん?」
「なんだ、ガイラルディア」
「もっと…触って欲し……」

言ったとおりに、四つの手であちこちを触られる。
「ん、ふ、ぁ…ああっ……」
何かをこらえようとか、我慢しようとか、そういう堰を切ったようで、思い浮かぶもの、出したい言葉全てが溢れてくる。

「ガイ…ほらここも、もう、こんなになってる…」
既に外気に触れさせられていたものはすでに天を向いていた。
すぐそばに、ジェイドの顔が近づけられている。
ちろり、と味見をするようにジェイドの舌が先端を掠め取っていく。
「う、ああっ…!」
「ずるいぞ、ジェイド」
「陛下は黙っていてください」
快感が、背中をびりびりと駆け上がっていく。
ただ、舐められただけなのに、これ以上されたらどうしようと思っていた矢先、ゆっくりと、口に含まれていく。

「あっ、ジェイ…ド…!やっ、気持ちよ、すぎ、る…!」
刺激の強さに、腰が逃げそうになる。けれども、背中からピオニーに抱き締められていて、結局は深く深く飲み込まれていくしかなかった。

「気持ちいいんだろ…?もっと、してやるから、な」
抱き締めていた手が、首から胸、腹へと伝っていき、そしてまた胸に戻ってくる。
小さな実をみつけて、悪戯に弄っていく。
すでにそれは、固くなっていて、弾かれるとさらに赤く色づいた。

ジェイドの口淫で、すでにガイは果てを迎えそうだった。
突如、ジェイドの口が離れる。そして、こう言った。
「ガイ、今一番会いたい人の名前を言って、イくんですよ」
「ふ、あぁ………会いたい、ひと…?」
「そうです、わかりましたね…?」

にこり、と微笑みかけられる。
そしてまた、その顔は下を向いて行為を再開する。
ジェイドの唾液と、ガイの先走りで、そこら一帯はベトベトに濡れているのが嫌でもわかった。


いまいちばん あいたい ひと


「思いついたか?ガイラルディア…その人のことを考えて、イくんだよ」
耳を舐めながら、ピオニーが優しく語り掛けてくる。


あいたくて それでも あえない ひと


ぎゅ、と目をつぶる。
脳裏で揺れる、赤。

「………ルーク……ッ…!!!」



会いたい。
会えない。
でも、会いたい。



霞み行く意識の中で、ルークが笑いかけてくれる幻影を見た。









あとがき。
「珍しくジェイドに八つ当たりするガイをジェイドが押さえつける」 というテーマでとや子さんに宿題を戴きまして、えちらおっちらだいぶ時間をかけて書きました。すごく焦らしてしまいました。誕生日に間に合わなくて申し訳ない。
実際書いたのは一日だったんですけども。なんていうか、ジェイドとピオニーを書くのが初めてだったので、どう絡ませたらいいのか、悩みました。
この二人は私の永遠の萌えなはずなのに、いざ書いてみるとギャグにしかならないというミステリー。
研究の余地ありですね。

2006.12.04 疾風

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